安田理央の日本風俗私史<夜遊昭和レトロ巡り>第3回メディアをフードルが席巻し店には行列!
アダルトメディア研究家安田理央が風俗の歴史と自分史を振り返るシリーズ。少し昭和もあったり平成メインで令和もあったりなかったり⁉ 第三回は風俗アイドル「フードル」やユニークなプレイで加熱する平成風俗事情です。
週刊誌やスポーツ紙に加え風俗誌の創刊ラッシュで露出が増え人気嬢は風俗のアイドル「フードル」として紙面のグラビアやAVデビュー、そしてテレビ番組にも登場と今では考えられない活躍の場が広がっていきます。
ヘルススタイルが定着し平成風俗を牽引
それまでマンションの一室でひっそりと営業していたイメージクラブや性感マッサージが、徐々に看板を出した店舗を構えて、堂々と営業をするようになったのが1994年から1995年にかけての時期でした。
AVなどで活躍した南智子が在籍していた『乱コーポレーション』は、『プラチナ』『すっぽん』など次々と新しい店をオープンさせていきました。女性は脱がずに指と淫語だけで男性をイカせるという性感マッサージスタイルの『乱コーポレーション』とは違い、新しい店は全裸でフェラなどのサービスもあるというヘルススタイル。しかもそれまで一部の店でしか体験できなかったアナル舐めまでしてくれて低料金ということで人気を集めました。こうした店は性感ヘルスと呼ばれるようになり、イメクラと共に平成風俗をリードしていくことになります。
そして『乱』グループは、池袋のサンシャイン通りに堂々と看板を出しての店舗型である『ワンショット』、そして風俗のメッカといわれながらも、それまで平成風俗店の進出を許さなかった歌舞伎町にまで派手なネオン看板を掲げた『愛のカゲキ道場』を開店させます。当に破竹の勢いでした。
こうなると堰を切ったように、歌舞伎町、池袋、渋谷などの繁華街に看板を出した店舗のイメクラや性感ヘルスが次々に出現します。
風俗のメインストリームは、それまでのソープランドやファッションヘルスから、イメクラや性感ヘルスへと移り変わっていきました。
AVなどで活躍した南智子が在籍していた『乱コーポレーション』は、『プラチナ』『すっぽん』など次々と新しい店をオープンさせていきました。女性は脱がずに指と淫語だけで男性をイカせるという性感マッサージスタイルの『乱コーポレーション』とは違い、新しい店は全裸でフェラなどのサービスもあるというヘルススタイル。しかもそれまで一部の店でしか体験できなかったアナル舐めまでしてくれて低料金ということで人気を集めました。こうした店は性感ヘルスと呼ばれるようになり、イメクラと共に平成風俗をリードしていくことになります。
そして『乱』グループは、池袋のサンシャイン通りに堂々と看板を出しての店舗型である『ワンショット』、そして風俗のメッカといわれながらも、それまで平成風俗店の進出を許さなかった歌舞伎町にまで派手なネオン看板を掲げた『愛のカゲキ道場』を開店させます。当に破竹の勢いでした。
こうなると堰を切ったように、歌舞伎町、池袋、渋谷などの繁華街に看板を出した店舗のイメクラや性感ヘルスが次々に出現します。
風俗のメインストリームは、それまでのソープランドやファッションヘルスから、イメクラや性感ヘルスへと移り変わっていきました。
主要マスメディアでも取り上げられ風俗文化を形成
この頃に相次いで創刊された風俗誌でも平成風俗店に所属する女の子たちが表紙やグラビアに登場するようになります。
平成風俗店はマスコミへの露出に積極的な店が多かったということもありましたが、何よりもこうした店には若くて可愛い女の子がたくさんいたのです。
彼女たちは風俗アイドル=フードルと呼ばれるようになります。AVが今ひとつ元気がない時期ということもあり、AV女優よりもフードルの方が週刊誌などでの露出が多くて知名度が高い、なんてこともあるくらいでした。
その代表的な存在が可愛手翔です。1994年に高田馬場の性感ヘルス『ウィズ・ユー』で働きはじめると、その抜群のルックスでたちまち注目を集め、多くの雑誌のグラビアを飾り、テレビ番組などにも登場しました。さらに単独で写真集まで出るほどの人気でした。
1996年には『風俗アイドル No.1』(アトラス21)でAVデビューも果たします。風俗嬢からスカウトされてAV女優に転身する子は以前から多かったのですが、その場合はたいてい風俗で働いていた過去はなかったことにされます。
しかし可愛手翔はナンバーワン風俗嬢であったことを売りにAVデビューしたのです。それくらいフードルの勢いがあったのでした。
平成風俗店はマスコミへの露出に積極的な店が多かったということもありましたが、何よりもこうした店には若くて可愛い女の子がたくさんいたのです。
彼女たちは風俗アイドル=フードルと呼ばれるようになります。AVが今ひとつ元気がない時期ということもあり、AV女優よりもフードルの方が週刊誌などでの露出が多くて知名度が高い、なんてこともあるくらいでした。
その代表的な存在が可愛手翔です。1994年に高田馬場の性感ヘルス『ウィズ・ユー』で働きはじめると、その抜群のルックスでたちまち注目を集め、多くの雑誌のグラビアを飾り、テレビ番組などにも登場しました。さらに単独で写真集まで出るほどの人気でした。
1996年には『風俗アイドル No.1』(アトラス21)でAVデビューも果たします。風俗嬢からスカウトされてAV女優に転身する子は以前から多かったのですが、その場合はたいてい風俗で働いていた過去はなかったことにされます。
しかし可愛手翔はナンバーワン風俗嬢であったことを売りにAVデビューしたのです。それくらいフードルの勢いがあったのでした。
店舗が知恵を絞りユニークなプレイを生み出す
僕は1994年にフリーライターになったのですが、平成風俗ブームに乗っかる形で、風俗記事を書きまくっていました。
特に得意としていたのが「バカ風俗」の体験ルポ記事です。バカバカしいプレイコースを作る平成風俗店が多かったのです。
例えば、素股の時にコンニャクを使う「コンニャク素股」や穴を開けたメロンを使う「メロン素股」、ビルの屋上でビニール製のプールで行水しながらの「露出行水プレイ」、生きてるウナギをアソコに入れる「生ウナギバイブプレイ」、温泉宴会の定番である女体盛りをアレンジした「フルーツパフェ女体盛り」や「女体ケーキ」……。テレビの深夜番組『王様のフェロモン』の、ハケが回転する水車をAV女優の股間に当てるというコーナーを真似て、ハケ水車マシンを作ってしまった店までありました。
実際は単にマスコミに取り上げてもらうのが目的なので、実際にこうしたプレイを行うことはない(わざわざオプション料金を払ってまでこんなことを希望する客なんていない!)のですが、それを真面目に体験取材するのです。当然、女の子もやったことがないので、「どうやるのかな?」なんて、一緒に考えながらプレイするのも、トホホな感じでそれはそれで楽しかったのです。
特に得意としていたのが「バカ風俗」の体験ルポ記事です。バカバカしいプレイコースを作る平成風俗店が多かったのです。
例えば、素股の時にコンニャクを使う「コンニャク素股」や穴を開けたメロンを使う「メロン素股」、ビルの屋上でビニール製のプールで行水しながらの「露出行水プレイ」、生きてるウナギをアソコに入れる「生ウナギバイブプレイ」、温泉宴会の定番である女体盛りをアレンジした「フルーツパフェ女体盛り」や「女体ケーキ」……。テレビの深夜番組『王様のフェロモン』の、ハケが回転する水車をAV女優の股間に当てるというコーナーを真似て、ハケ水車マシンを作ってしまった店までありました。
実際は単にマスコミに取り上げてもらうのが目的なので、実際にこうしたプレイを行うことはない(わざわざオプション料金を払ってまでこんなことを希望する客なんていない!)のですが、それを真面目に体験取材するのです。当然、女の子もやったことがないので、「どうやるのかな?」なんて、一緒に考えながらプレイするのも、トホホな感じでそれはそれで楽しかったのです。
平成風俗ブームの終焉なのか!?
毎日のように新しい店がオープンし、新たな人気フードルが登場する。人気のお店の前には行列が出来るほど、お客さんも押しかけていました。
そんな風に過熱していった平成風俗ブームでしたが、1995年の7月に大きな事件がありました。
ブームの火付け役であり、最大級の規模を誇っていた『乱』グループの全ての店舗に連絡がつかなくなってしまったのです。
その時点で『乱』グループは池袋、巣鴨、歌舞伎町、渋谷と都内に20店舗以上を展開していました。その全てが突然、閉店してしまったのです。
そんな風に過熱していった平成風俗ブームでしたが、1995年の7月に大きな事件がありました。
ブームの火付け役であり、最大級の規模を誇っていた『乱』グループの全ての店舗に連絡がつかなくなってしまったのです。
その時点で『乱』グループは池袋、巣鴨、歌舞伎町、渋谷と都内に20店舗以上を展開していました。その全てが突然、閉店してしまったのです。
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取材者 安田理央
1967年生まれ。フリーライター、アダルトメディア研究家。1987年よりアダルト関係の原稿を書き始める。主な著書に「痴女の誕生」「巨乳の誕生」「日本エロ本全史」(以上 太田出版)「AV女優、のち」(角川新書)など。「たちまち はだかの業界物語」(画:前川かずお 日本文芸社)では漫画原作も。