突レポ スペシャリストが行く

安田理央の日本エロカルチャー私史~ライターから見た風俗史 00年代編~

00年代の風俗史を筆者の体験で振り返る。最盛期を迎えた平成風俗も一つの事件と風営法の改革で終わりが見えてくる中、筆者も数々の事件と現場に遭遇する00年代私史。

安田理央の日本エロカルチャー私史~ライターから見た風俗史 00年代編~

高級デリヘル.JP編集部から

アダルトメディア研究家でライターの安田理央が高デリjpに特別寄稿。筆者がかつて実際に遊んだり取材した、風俗やAVの世界を時代を追って紹介していくシリーズ三回目。

風俗編の最後は00年代から現在までを振り返ります。風俗ブームを牽引した店舗型風俗が消えデリヘルブームが始まります。

平成風俗ブームの最中に起きたショッキングな事件

 00年代に入っても、平成風俗の勢いは止まらなかったが、その一方で「裏風俗」と呼ばれる本番アリの風俗が密かな人気を集めていた。
 70年代から本番ピンサロのメッカであった西川口にちなんで、本番アリの風俗のことを「NK流」(西川口流)などと呼ぶようになったのは、この頃だ。ヘルスの本場とも言える名古屋で「西川口流上陸!」とうたった広告を見た時は、さすがに驚いた。

当時の西川口流を再現した写真

 インターネットに押され始めてはいたものの、風俗誌もまだまだ健在。平成風俗はブームを超えて、完全に定着したのだな、と筆者は思っていた。
 そんな気持ちに冷や水を浴びせるような出来事が2001年9月に起きる。歌舞伎町ビル火災である。風俗店が数多く入居している雑居ビルが火災になり、44人が死亡したという事件だ。避難経路の確保がなされていなかったり、火災報知器が作動しないようになっていたなど、火災対策の不備が原因とされているが、これによって風俗への風当たりが強くなっていく。

44名の命が奪われた歌舞伎町ビル火災

 そして、実は筆者はこの半年前の3月に、池袋の風俗店を取材中に、火災に巻き込まれるという体験をしていた。
 二階にあったその性感ヘルス店で風俗嬢にインタビューをしていたのだが、個室の外が騒がしくドアを開けたら、廊下は既に火と煙で逃げ出すことも出来ない。完全に閉じ込められてしまった。正直、死を覚悟したのだが、幸運にも消防署のハシゴ車が到着し、風俗嬢共々、窓から救出された。
 周りには当然のように野次馬がたくさんおり、助け出されながら「この人たちは、おれも遊びに来て巻き込まれた客だと思ってるんだろうなぁ。取材で来てたのに……」なんてことを考えたりしていた。
 特に怪我はなかったのだが、風俗嬢と一緒に救急車で運ばれた。お互いの顔がコントのようにススで真っ黒になっているのを笑いあったのを覚えている。
 翌々日、現場に行ってみると、火元である一階の中華料理屋は全焼状態。しかし二階の風俗店は、すでに営業を再開していて、そのタフさに舌を巻いたものだった。
 そんな経験をしたばかりだったので、歌舞伎町火災は他人事とは思えなかった。

救出直後の筆者と風俗嬢

変わる風俗業界を目前に全国の有名風俗街を潜入取材

 2003年に筆者は日本中の風俗街をルポするシリーズAVの監督を務めることになる。北海道から九州まで、二十を超える有名風俗街を周り、その地の風俗店のプレイを撮影し、さらには裏風俗にも潜入取材した。
 大阪・十三の屋台村に飛田新地、池袋のオタク向けイメクラ、西新宿の乱交パーティ、ススキノのショーパブヘルス、熱海のスーパーコンパニオン宴会、名古屋のキャンパスパブ、ビデオパブ、道後温泉のネオン坂、福山の尺屋、金沢の連れ出しパプ……。地方色の豊かな様々な風俗を体験した。

ススキノのショーパブヘルス

 後で思えば、この時期にこういう形で全国の風俗を記録に残しておけたのは、すごくいいことだった。
 なぜなら翌年の2004年を境に風俗業界は大きく変貌してしまったからだ。
 始まりは当時東京都知事であった石原慎太郎が主導した歌舞伎町浄化作戦だった。そもそもは不法滞在の外国人の取締りが目的だったようだが、風俗店の摘発が相次いだ。
 もともとイメクラや性感ヘルスといった平成風俗店は風営法の許可をとっていない無許可店だったため、警察の手入れが入ることは珍しくなかった。しかし、それはいわば見せしめ的な要素が強く、翌日には何食わぬ顔で営業を再開(店名を変えることも多かったが)していた。
 それがこの時の摘発では徹底的に潰された。再開すると、またすぐに手入れが入るのだ。こうして歌舞伎町、続いて池袋の平成風俗店は次々と閉店に追い込まれていった。

池袋のオタク向けイメクラ

摘発の現場に遭遇 そして平成風俗の終焉

 この年の2月、筆者は池袋の様子をチェックするため東口の繁華街をうろついていた。確かに、かなりの数の店にシャッターが降りていた。それでもまだ営業している店もある。
 もう8年ほど前からやっている老舗の『I』という性感ヘルスの看板にも明かりが灯っていた。せっかくなので話を聞きがてらに遊んでいくかと店に入った。
 50分13000円に入会金1000円の計14000円を払う。お相手の女の子はMちゃん。高身長のスラリとした可愛い子で、感度もよく、なかなか楽しくプレイできた。
 終わった後、腰にタオルを巻いた状態で、Mちゃんと話していると突然、中年男性が個室に入ってきた。部屋を間違えたのかと思ったが、その男性はこう言った。
「警察だ。はい、動かない」
摘発の現場に出くわしてしまったのだ。
とまどっている間に、何人もの刑事が個室に入ってきてそれぞれがデジタルカメラを手に写真を撮りまくる。タオルを巻いた姿だったからよかったものの、これがプレイ中だったら、目も当てられなかっただろう。
 その後、別の個室に連れて行かれて、どんなサービスを受けたのかを聞かれる。
「受付にいたのは、どんな人だった?「『いらっしゃいませ』といわれた?」
「シャワーの時に、女の子のお尻やおっぱいに触った?」
「ちんちんを舐められた?」
「おまんこに指をいれた?」
そんなことを真顔で聞かれるのだ。思わず苦笑してしまうと、向こうも苦笑していた。
 ライターという職業柄、筆者はこの事情聴取を面白がっていたのだが、それを協力的だと思われたのか、「ちょっと調書作るのに協力してくれるかな」と交番まで連れて行かれて、さらに詳しく話を聞かれた。
 こちらでも同じような質問をされ、調書にしていくのだが、
「背の高い子だなと思いました」
「ここで、ちんちんを舐められました」
「おまんこを触ると濡れていました」
などという文章になっていく。それを大真面目にやるのだから、なんともおかしかった。
 翌日、見に行くと『I』は営業していたが、一週間後には、レンタルスペースへと商売替えしていた。

摘発で空き家になった風俗ビル

 こうして、平成風俗店はあっという間に都内から消え、その動きは全国へと広がっていった。NK流で名を馳せた西川口からも本番サロンは消え、長く親しまれてきた横浜黄金町のちょんの間街も壊滅した。
 平成風俗ブームは終わりを告げ、以降の風俗は、風営法で許可された従来のソープランドやファッションヘルス、そして新たに許可されたデリバリーヘルスが主役となっていったのだ。
 あれほどたくさんあった風俗情報誌も、携帯電話、そしてスマートフォンの普及によってその役割を終えることとなる。気がつけば、わずか二誌を残して、全て休刊していた。風俗業界は見る見るうちに変化を遂げていた。
 そして2020年を迎えた現在に至るまで、不況や震災といった大きな波を受けながらも、強く生き続けてきた。
 新型コロナウィルスという未だかつてない苦難にも、日本の風俗は負けることなく、新しい楽しみを、多くの男性に与えてくれるだろうと期待している。

~AV女優たちの素顔 インタビュー編~へと続く
80年代編はこちら>>
90年代編はこちら>>

この記事をシェアする

関連ワード

安田理央

取材者 安田理央

1967年生まれ。フリーライター、アダルトメディア研究家。1987年よりアダルト関係の原稿を書き始める。主な著書に「痴女の誕生」「巨乳の誕生」「日本エロ本全史」(以上 太田出版)「AV女優、のち」(角川新書)など。「たちまち はだかの業界物語」(画:前川かずお 日本文芸社)では漫画原作も。