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安田理央の日本エロカルチャー私史~ライターから見た風俗史 90年代編~

90年代の風俗史を筆者の体験で振り返る。多様化する平成風俗にハマりだし、いよいよライターとして活動を開始する90年代私史。

安田理央の日本エロカルチャー私史~ライターから見た風俗史 90年代編~

高級デリヘル.JP編集部から

アダルトメディア研究家でライターの安田理央が高デリjpに特別寄稿。筆者がかつて実際に遊んだり取材した、風俗やAVの世界を時代を追って紹介していくシリーズ二回目。

今回は『フードル』のような言葉も生まれた平成風俗が盛り上がったの90年代を振り返ります。

とあるAV作品で知った池袋『R』で経験した快感

 昭和から平成へと元号が変わり、そして90年代に突入すると、風俗は空前の盛り上がりを見せるようになる。
 そのきっかけとなったのが、1991年に池袋にオープンした『R』という店だった。
 筆者がこの店の存在を知ったのは、一本のAVからだった。当時、広告代理店でコピーライターの仕事をしながら、AVレビューを書くバイトをしていたのだが、その時に編集者から渡されたうちの一本に、その『R』に所属する南智子が出演していた。
 衝撃的だった。南智子は、とんでもなくいやらしい言葉を囁きながら指先のテクニックだけで、男を失神寸前まで追いつめてしまうのだ。ビデオの最後には彼女が勤務している店『R』の電話番号が記されていた。
 数日後、筆者は会社帰りに『R』に電話した。店は池袋北口から少し離れたところにあるという。完全予約制。しかも予約時刻の一時間前に確認の電話をいれないと予約が取り消しになってしまうという。飛行機じゃあるまいしリコンファーム? それほど人気がある店なのか?

90年代取材写真から①

 電話で教えられた『R』は、ごく普通のマンションの一室だった。ドアに看板ひとつ出ていない。知らない人には、ここが風俗店だとは全くわからないだろう。以前に一度だけ行ったことのあったSMクラブと同じである。ただSMクラブの場合は、そこで料金を払ったあと、近くのラブホテルへ移動するのだが、この店ではカーテンや薄いボードで区切っただけの狭くて粗末な「個室」でプレイするのだという。独特の言い回しの女性の責め声、そしてヒィヒィと絶叫に近いような男の喘ぎ声があちこちから聞こえてくる。
 さすがに気後れしたが、逃げるわけにもいかず店員にいわれるがままに1人でシャワーを浴び、そして小さな個室へと通された。
 お相手の女性は、残念ながら南智子さんではなかったが(予約がいっぱいだった)スレンダーな、かなりの美人だった。ランジェリーから伸びた脚はスラリと長い。
『R』のプレイの基本は言葉責めだ。
「あらぁ、あなたのクリトリスこんなに大きくなっちゃったわよぉ。○子のおまんこ、もうビチョビチョ。あっつ~くなってるのぉ」
などとオヤジエロ度の高い淫乱語を連発してくる。客のペニスをクリトリス、肛門をおまんこと呼ぶのが面白い。
 サービスは指のみで、ペニスの近くまで口を寄せてジュルジュルと音を立てたりもするのだが、決してくわえない。顔面騎乗もするが、ランジェリーを脱ぐことはないし、客からのタッチも厳禁だ。この辺はSMクラブの女王様と同じだろう。
 このプレイが信じられないほどの快感を筆者に与えた。内腿がガクガクと痙攣し、イク瞬間など、まるでオシッコが出てしまったのではないかと思えるほどの射精感があった。これは今までの風俗体験、セックス体験とは、あきらかに違う!

90年代取材写真から②

 それから筆者は当然の如く『R』に通った。ところが、あの最初の体験ほどの快感は得ることができなかった。言葉責めに興奮したのだから自分にM気があるのかと思ったが、どうも女王様的要素が強くなると冷めてしまう。それにやっぱり、フェラなどの肉体的なサービスがないのは、どうしても物足りない。

本業の仕事を抜け出して体験取材をする日々

 しばらくして『R』が姉妹店として池袋に『S』という店をオープンさせた。『S』は『R』とは全く違う、後に「性感ヘルス」と呼ばれることとなるスタイルの店だった。女の子もちゃんと全裸になり、客からのタッチも可能。サービスは生フェラ、素股、アナル舐めまでキッチリと行い、しかも女のコも若くて粒ぞろいなのだ。さらに総額で13000円という破格値。これで客が入らないわけがない。『S』は超人気店となり、なかなか予約も取れず、店の前の階段には順番待ちの客がズラリと並んだ。
 現在に続く平成風俗ブームは、この『S』から始まったといっても過言ではないだろう。
 同時期に、教室や電車の車内などのセットを個室に作り、「ごっこ」プレイが出来るイメージクラブ=イメクラも人気を集め始めていた。平成風俗は、この性感ヘルスとイメクラが中心になって盛り上がっていく。
 そして筆者は、どうにも性にあわないコピーライターの本職の傍らで続けていたエロ系ライターの仕事が段々増えてきた。風俗に関しての取材仕事もポツポツ来だした。なにしろ今自分がハマっている世界だ。取材するのも楽しい。
 仕事を抜け出して体験取材して、ローションの匂いをプンプンさせながら何喰わぬ顔をして会社に戻る、なんて不謹慎なこともしていた。
 両立はそろそろ難しいかな、と思い始めた。コピーの仕事と、エロ原稿の仕事、どっちが楽しいかと聞かれれば迷うこともなく後者だ。
 バブル崩壊で元気のない広告業界よりも、これから盛り上がろうという風俗業界を見ていた方が興奮するに決まっている。

個室に電車内のセットがあるイメクラ店の様子

 1994年、筆者は3年間勤めた広告代理店を退職し、フリーライターとして独立した。テーマはエロに絞ることにした。風俗、AV、SM、そんなあたりが当時の得意ジャンルだった。なかでも風俗が取材をしていても一番面白く、のめり込んでいった。
 そして風俗の中でもマンション営業のイメクラ/性感店、いわゆる平成風俗に興味があり、集中的に取材した。
 風俗誌は、まだソープとファッションヘルスが中心で、この手の店を探す頼りになったのが、夕刊紙の三行広告欄だ。まだ取材に対して積極的ではない店が多く、交渉に手間取ったこともしばしばだった。どの店もマンションの中でひっそりと看板も出さずに営業し、「裏」の匂いをぷんぷんさせていた。本番行為こそないものの、風営法で認可されていないのだから、この手の店がこそこそするのも当然だ。
 ところが、こうした常識をうち破ったのが例の『R』グループだった。『R』グループは、次々と新しい店をオープンしていった。それもサンシャイン通りに堂々と看板を出しての店舗型である『O』、そして風俗のメッカといわれながらも平成風俗店の進出を許さなかった歌舞伎町にまで派手なネオン看板を掲げた『A』を開店させ、正に破竹の勢いだった。どの店も女の子のレベルは高く、サービスは過激で、なおかつ値段も安い。これで客が入らないわけがない。
『R』グループが革命的だったのは、もうひとつ。マスコミへの積極的な露出だった。とにかく取材には力を入れる。それまでの風俗店は、一部の風俗ライターと癒着に近い関係を持ち、それ以外の取材には積極的ではなかったものだが、『R』グループは、どんな取材でも愛想よく受けてくれる。筆者のような駆け出しのライターにとっては、正直いってありがたかった。

90年代取材写真から③

AVアイドルとフードルの逆転現象が起こり風俗誌も次々と創刊

 この一年で、風俗業界は大きく変わった。『R』グループ以外にも、平成風俗店は急増し、風俗誌や一般誌で盛り上がりを見せる新しい風俗として取り上げられるようになっていた。フードルなんて言葉が産まれたのもこの年だ。
 ちょっと前では考えられないほど、可愛い女の子が次々に風俗誌のグラビアを飾った。数年前のAVブームの時に、「こんなアイドルみたいに可愛い子がAVに出演するなんて、いい時代だなぁ」という言葉そのままに、アイドルみたいに可愛い子が風俗で働くようになっていた。
 AV女優だった子が風俗で働いたり、逆に風俗からAVへと進出する子まで出てきた。風俗で働いていたところをスカウトされてAV女優になるというパターンは、それまでも数多くあったが、その際は風俗上がりの過去を隠すというのが常道だった。しかし、この時期にはフードルがAVデビューというのが売りになったのだ。
 その代表ともいえるのが、やはり可愛手翔だろう。平成6年に高田馬場の性感ヘルス『W』(やはり『R』グループ系列だった)で働き始めるや否や、風俗誌はもちろん一般週刊誌のグラビア、そしてTV番組にまでも出まくった。その頃、AVはすでにすっかり元気がなくなっており、AVアイドルよりも可愛手翔らフードルの方がよっぽど有名だという逆転現象まで起きていた。
 阪神大震災や地下鉄サリン事件など、日本全体にとっても大変な年であった1995年、風俗界にも大きな事件があった。『R』グループが国税局に摘発されたことをきっかけに崩壊したのだ。しかし、それでも平成風俗の勢いは止まることはなかった。
 ひっそりとマンション内で営業する店よりも、無許可のままで堂々と看板を出して繁華街に店を構える店舗型が中心になっていた。
 風俗誌も次々と創刊されていった。AV女優を扱っていた雑誌が風俗専門誌に鞍替えするということも相次いだ。これはAV女優を使うよりもモデル代がかからないから、制作費を安くあげられるといった理由も多分にあったのだろうが、それ以上にAVよりも風俗の方が盛り上がっているという時代の必然的なニーズもあったはずだ。
 一方、店舗数の急増により、生存競争は熾烈となり、料金の値下げ合戦、そしてサービスの過激化が進んだ。前者では30分6千円以下という破格値の店が出現(もっとも午前中の1時間のみという限られた時間帯での料金だったが)、そして後者ではAF(=アナルファック)という最終兵器が登場した。

AF(=アナルファック)店に飾られていた写真

 その後、キャバクラとピンサロをあわせたようなシステムの「抜きキャバ」や、本格的なマッサージと手コキサービスをあわせた「韓国エステ(アジアンエステ)」、ディープキスや乳房への愛撫は可だが、下半身へのタッチは出来ず、抜きもないという「おっぱいパブ」なども登場。
風俗は多様化していく。人妻風俗店が増えてきたのもこの頃だ。
 そして1998年には再び風営法が改正。ここで新たに認可されたデリバリーヘルスは次世代の風俗のメインストリームへと成長していく。

~ライターから見た風俗史 00年代編~へと続く
80年代編はこちら>>

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安田理央

取材者 安田理央

1967年生まれ。フリーライター、アダルトメディア研究家。1987年よりアダルト関係の原稿を書き始める。主な著書に「痴女の誕生」「巨乳の誕生」「日本エロ本全史」(以上 太田出版)「AV女優、のち」(角川新書)など。「たちまち はだかの業界物語」(画:前川かずお 日本文芸社)では漫画原作も。